An −第二章・12−
――週明け、月曜日の朝。
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先に行く
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葉月の携帯に倖弥からメールが届いた。
倖弥の機嫌は貴裕が言っていた通り、すぐに直っていた。
だから昨日は倖弥と葉月、原田と三人で一緒に出掛けた時も普通だったのだが。
「おはようございまーす」
学校に着いて葉月が道場に入ると一足先に来ているはずの倖弥の姿がなかった。
(あれ?)
葉月が不思議に思っていると倖弥が道場に入ってきた。
「うぃーすっ」
「倖弥」
「おぅ、葉月、おはよ」
倖弥は特に変った様子もなく葉月の方に振り向いた。
「おはよう。ねぇ、なんで今日先に行ったの?」
「……ちょっと用事があって」
倖弥はあまり言いたくなさそうに答えた。
「こんな朝早くから?」
それでも葉月は何故なのかが気になる。
「……」
倖弥は無言で葉月をちらりと見た。
その顔は一々聞くなよ……といった感じだ。
「……」
葉月はまた倖弥を怒らせてしまう気がし、それ以上何も聞けなかった――。
――昼休憩。
葉月は倖弥の教室に向かった。
すると教室の入口に杏花が立っていた。
(あ……)
葉月は咄嗟にくるりと背を向けた。
少しずつゆっくりと振り向きながら杏花の様子を伺っていると教室の中から倖弥が出てきた。
そして、杏花と二人でどこかに向かって歩き始めた。
「……」
葉月は二人に気付かれないよう後をついて行った。
倖弥は杏花を屋上に連れて来ると周りに他の生徒がいない事を確認して口を開いた。
「手紙、読んでくれたんだ?」
倖弥は今朝、杏花の下駄箱に手紙を入れていた。
その為に葉月よりも早く学校に行ったのだ。
杏花はずっと携帯の電源を切っていた。
それで倖弥は少しでも早く誤解を解きたくて昨夜杏花に手紙を書いたのだ。
「……うん」
「あのさ、手紙にも書いたとおり、葉月はただの幼馴染みだから」
「……っ」
葉月は二人の会話が聞こえる位置に隠れていた。
“ただの幼馴染み”
その言葉がズキンと胸に響いた。
「でも……」
杏花は倖弥の右手首のバングルに視線を落とした。
「これは……」
倖弥はその視線に気付き、杏花をこれ以上不安にさせまいと口を開きかけた時、
「倖弥っ」
葉月が二人の目の前に現れた。
「葉月っ!?」
倖弥はまさか葉月がいるとは思っても見なかったからか、
そのまま固まったかのように瞠目した。
「“ただの幼馴染み”ってどういう事? あたしは倖弥の許婚じゃないっ」
「え……?」
杏花は葉月の言葉に耳を疑った。
「許婚って……」
「葉月、その話は……っ」
「ユキ、どういう事?」
杏花は不安そうな表情で倖弥の顔を見上げていた。
「アン、違うんだっ」
「何が違うの? 手紙にはそんな事一言も書いてなかったじゃないっ」
「だから、それは……っ」
「倖弥……っ」
倖弥と杏花の間を割って入るかのように葉月は倖弥の名前を呼んだ。
杏花はその場から逃げるように走り出した。
「アンッ!」
その後を追いかけようと倖弥が手を伸ばすと
「倖弥っ」
葉月がその手を取り、制した。
「放せよ!」
倖弥は葉月の手を振り払った。
「嫌っ!」
しかし、葉月は再び倖弥の腕にしがみついた。
「なんでお前がここにいるんだよ?」
倖弥は苛立ったような声。
「……」
葉月は何も答えず、ただ泣いていた。
そして、再び倖弥が葉月から離れようとした時、
「あたしは倖弥の許婚でしょ? なのになんで……」
葉月がギュッと倖弥の腕を掴んだ。
「だから、その話は前にも俺は認めてないって言っただろっ?」
突き放すような冷たい言い方。
「あたしは……っ、倖弥の事が好きなのっ」
葉月は叫ぶように言った。
「あの日、あの時、ここで倖弥に好きって言おうと思ってたのに……っ」
「葉月……」
「なのに、倖弥、突然いなくなっちゃうんだもんっ」
「葉月……っ」
「……やっと見つかって病院で目が覚めたと思ったら……
知らない女の子の名前、呼んでるし……っ、
あたしは倖弥の許婚なのに……! どうして、あの子と付き合ってるの?」
「葉月!」
「……」
「……ごめん」
「……」
「俺……あの時、お前に告られてても、お前の気持ちに応えることができなかった」
倖弥の言葉に葉月は手の力が抜けた。
「ごめん……」
倖弥は葉月の手が腕から離れるとすぐに杏花を追いかけた。
「アンッ」
倖弥が呼ぶと一瞬、足を止めた。
しかし、すぐにまた足早に歩き始めた。
「アン、頼むから話を聞いてくれ」
倖弥は杏花に手を伸ばし、腕を掴んだ。
「……」
「葉月の事は、その……」
「……やっぱり……来なきゃよかった……」
杏花は目に涙を浮かべながら呟くように言った。
「……アン?」
「やっとユキに逢えたのに……許婚がいたなんて……、
こんな事なら、あの時あんな黒魔術なんて頼らなければよかった!」
そう言うと杏花は倖弥の腕を振り払い、走り出した。
「……っ」
倖弥は言葉を詰まらせ、杏花の後を追いかけることができなかった――。