An −第二章・3−

 

 

「うんめぇーっ」

倖弥は病院で出された朝食の白米を口に入れると一気に頬張った。

サントワールでは朝も昼も夜もずっとパンだったから約四ヶ月ぶりの“日本食”だ。

倖弥は久しぶりの白米と味噌汁、ひじきをあっという間に平らげ、

様子を見に来た母親・律子を驚かせていた。

 

「病院食ってあんまり美味しそうなイメージがないけど、

 そんなに美味しかったの?」

 

「いや、だって久しぶりの白飯だし」

 

「え? 昨日の朝もたらふくご飯とお味噌汁食べてたじゃない」

倖弥にとっては四ヶ月ぶりでも律子にとっては昨日の朝の事なのだ。

 

(そういえば……こっちじゃ俺が行方不明になってたのって一時間くらいなんだっけ)

 

「……」

倖弥は多分またおかしな事言ってると思われているんだろうな……と、思いつつ、

朝食と一緒に出された牛乳を飲み始めた。

 

「……」

そして律子もまた“大丈夫なんだろうか?”と言った顔をしていた。

 

倖弥の怪我は貴裕が言っていた通り、左肩と右手首の傷だけだった。

特に右手首の傷は木の枝に引っ掛かった時に出来た傷でほんの掠り傷だった。

ただ左肩の傷は鋭い矢が掠めただけあって完治するまでには

数週間ほどかかると診断された。

本来ならすでに退院しているはずなのだが、昨夜と今朝の倖弥の様子を見て、

頭部の再検査を昼食の後に行う事になった。

しかし、当然異常があるはずもなく、昨夜と今朝のおかしな発言は

寝惚けていただけじゃないのか? と言う話になり、翌日に退院する事になった。

 

 

 

 

――翌朝、迎えに来た両親と共に倖弥は退院した。

 

そして、家に戻るとすぐにノートパソコンの電源を入れ、

インターネットでサントワール王国やウェッジム王国の事を調べた。

ヨーロッパ史の記述が載っているサイトを片っ端から読み漁り、

今から約300年前にサントワール王国とウェッジム王国、

そしてアリズフォール共和国は確かに存在していたという事がわかり、

更には1703年9月、サントワール王国の第一王女・アンジェル=サントワールは

ウェッジム王国の王子・エリックと結婚し、翌年に女児を出産、

その翌年にウェッジム王国が再び他国へ領地拡大の目的で攻め入り、

返り討ちに遭う形で敗北。

もちろんウェッジム王国と同盟を結んでいたサントワール王国と

アリズフォール共和国もその際に滅ぼされ、ウェッジム国王、王妃とともに

エリック王子とその妻・アンジェル、そしてその子供までもがウェッジム城の中で

皆殺しにされた事がわかった。

 

「……」

倖弥は唇を噛み締めた。

 

(1703年9月って……俺と駆け落ちした後だからやっぱりあの後、連れ戻されたのか……

 アンがどうなったのか気になってたけど、知らないほうがよかったのかもしれない……)

 

 

 

 

――翌日。

登校した倖弥は一番に屋上へ向かった。

あの日、倖弥が落ちた場所だ。

 

朝の屋上には誰もいなかった。

 

フェンスも倖弥が入院している間に全て新しく取り替えられていた。

しかも以前よりも頑丈だ。

 

倖弥はあの日の事を思い出していた。

倖弥にとっての四ヶ月前、他の人にとっての三日前の事だ。

 

そして、フェンスに近づいて下を覗き込んだ。

 

(高い……)

 

ここから落ちたら、あの時と同じ様にサントワールに行けるだろうか?

 

だが、確実ではない。

まず普通に考えてここから落ちれば間違いなく死ぬ。

運が良ければ助かるだろうけれど。

万が一、同じ様にタイムスリップ出来たとしてサントワールに行けるとは限らないし、

アンジェルが生きていた時代に着くとは限らない。

 

それでも……一か八か……

 

もしも、ここから飛び降りる事でもう一度アンジェルに会えるなら……

 

そんな考えが頭を過ぎる。

 

倖弥は無意識のうちにフェンスに右足をかけていた。

 

(……アン……会いたいよ……)

 

 

そして、体を浮かせて身を乗り出した瞬間……

 

不意に後ろから腕を掴まれた。

 

「っ!?」

倖弥はハッとして振り返った。

 

「何、してるの?」

青ざめた顔の葉月が倖弥の右腕を掴んでいた。

 

「……葉月」

 

「危ないじゃない……こんな所で……」

 

「……」

 

「倖弥、今、自分が何してたかわかってるっ?」

葉月はそう言いながら倖弥の腕を強く引っ張り、フェンスから離した。

 

「まさか……飛び降りようとしてた訳じゃないよね?」

 

「……」

葉月に問われ、倖弥は何も答える事が出来ずにいた。

 

「倖弥……一体、どうしたの? やっぱり、どこかおかしいの?」

 

「どこも……おかしくなんかないよ」

 

「だったら、どうして?」

 

「……」

 

「倖弥?」

葉月は黙り込んでしまった倖弥の顔を覗き込んだ。

 

「何か理由があるんでしょ? だったら話して?」

 

「ごめん……もうこんな事はしないよ」

しかし、倖弥は理由を話しても葉月に信じて貰えないだろうと思い、

この場をやり過ごそうとした。

 

「……」

葉月は倖弥が何か隠していると直感し、じっと顔を覗き込んだままだった。

倖弥はその視線から逃れるように葉月が掴んでいる右腕を軽く振り払い、

「ホントにもうこんな事しないから……今の事、誰にも言うなよ?」

教室に戻ろうと踵を上げた。

 

「だったら、ちゃんと話してよっ」

葉月は倖弥の背中に向けて言った。

倖弥は足を止め、葉月の方に振り返った。

 

「さっきの事は誰にも言わない。でも、理由はちゃんと話して?」

「……」

「倖弥っ」

「言ったって、どうせ信じないだろ?」

「そんな事ないっ」

「そんな事あるから俺は一昨日、頭の再検査を受けたんだけど?」

「……」

「だから、もういいよ。俺ももうわかって貰おうなんて思わないし」

軽く溜め息をつき、倖弥は再び歩き始めた。

 

葉月にはその背中をすぐに追いかける事が出来なかった――。

 

HOME
INDEX
BACK
NEXT