An −第二章・5−

 

 

「うわぁーっ、馬ってこんなに目線が高くなるんだー?」

葉月は初めて馬に乗り、しかも念願の白馬に乗せて貰って少し興奮気味に言った。

 

「ねぇねぇ、倖弥も早く〜っ」

 

「はいはい」

葉月に急かされ、倖弥は厩舎スタッフの介助なしで馬に跨った。

その様子に葉月は「やっぱり慣れてる……」と呟いた。

 

 

厩舎スタッフの誘導で馬に乗って高原散策に出た倖弥は二週間前の事を思い出していた。

アンジェルを城から連れ出し、一緒に逃げた時の事だ。

あの時はこんな風にきれいに整備された道や木漏れ日が眩しく感じられる森ではなかったが、

木々の匂いや鳥の囀りはまったく同じだった。

 

「倖弥? どうしたの?」

 

「……んっ?」

葉月の声にハッとし、倖弥は慌てて顔をあげた。

 

「なんか、元気ないけど肩の傷、痛むの?」

すると葉月が心配そうな顔をしていた。

 

ここ最近、葉月は自分にものすごく気を使ってくれている。

それはアンジェルのことでずっと落ち込んでいたからだ。

それに屋上から飛び降りようとしていたところも見られている。

アンジェルに会いたくて衝動的に取った行動だっとは言え、

葉月の目にはきっと自分が本気で自殺しようとしていたように見えただろう。

 

(もう……アンの事は忘れよう……)

 

「あ、いや、大丈夫。ちょっと振動がくるけど平気」

倖弥は心配するなという風に笑って見せた。

 

自分がいくら落ち込んだところで、想ったところでアンジェルはもう生きてはいないのだから――。

 

 

 

 

乗馬体験を終え、倖弥と葉月が厩舎から出ると一人の女子生徒が倖弥達の前に現れた。

「ねぇねぇ、ちょっといい?」

 

どうやら厩舎から倖弥達が出てくるのを待っていたようだ。

 

「「?」」

倖弥と葉月は顔を見合わせた。

 

「あなた、かなり乗馬の経験あるでしょ?」

 

「は?」

倖弥は突然そう聞かれ、眉根を寄せた。

 

「さっきからずっとあなた達の事を見てたの。実はね、私の友達が馬術部なんだけど

 今ちょっと部員が足りなくて捜してるのよ」

女子生徒はそう言うと後ろを振り返り、2,3歩離れたところで

こちらの様子を窺っていた女子生徒に手招きをした。

 

「この子がその馬術部の友達で芝原杏花。あ、自己紹介遅れたけど私は北川郁美。

 ちなみに杏花と同じクラス」

後ろにいた女子生徒を先に紹介した後、郁美は杏花を倖弥達の前に連れて来た。

 

「っ!?」

倖弥はその女子生徒の顔を見て瞠目した。

 

郁美に手を引かれ、恥ずかしそうにしながら倖弥達の前に現れた女子生徒の顔が

アンジェルそっくりだったからだ。

 

「……アン……?」

 

(いや、そんなバカなっ)

 

アンジェルがいるはずがない。

そう思いながらも倖弥は“杏花”と呼ばれた女子生徒の姿をじっと見つめていた。

アンジェルの髪はまるで絹糸のように美しい金髪だった。

瞳もタンザナイトのようなとても綺麗なブルーだった。

しかし、今目の前にいる女の子は髪も瞳の色も黒。

だか、髪色や目の色こそ違えど立っている姿や背格好もアンジェルそっくりだ。

というより、生き写しだ。

 

「……」

見れば見るほどアンジェルそのもの。

倖弥はしばらく黙ったまま杏花を見つめていた。

視線を外す事もせず、まんじりと。

そして杏花もまた、何か言いたげな顔で倖弥を見つめていた。

 

「倖弥、この子の事、知ってるの?」

葉月は倖弥の顔を覗き込んだ。

 

「あ、いや……えーと……」

倖弥は慌てて杏花から視線を外した。

 

「もしかして、杏花に一目惚れしちゃった?」

その様子に郁美はからかうように言った。

 

すると葉月の片眉がピクリと動いた。

 

「倖弥、行こう」

葉月はムッとした顔で倖弥の左腕を取った。

 

「あ、待って! まだ話は終わってないのにー」

郁美は慌てて二人を引き止めた。

 

その声に葉月は振り向くと「倖弥は剣道部に入ってるから無理よ」

郁美に冷たく言い放ち、倖弥の左腕を引っ張ってスタスタと歩き始めた。

 

 

「お、おい……葉月」

「何?」

「あんな言い方しなくても……」

「……」

「まぁ、確かにいきなり目の前に現れてあの態度はどうかと思うけど」

「ならいいじゃない」

 

“もしかして、杏花に一目惚れしちゃった?”

 

「まったく、何が一目惚れよっ」

葉月はどうも郁美が言ったことが気に入らないようだ。

 

「あ、あの……葉月……」

「何よっ?」

「腕、放してくんねぇ? 肩痛い」

「あ……ごめん」

葉月は慌てて倖弥の左腕を放した。

そして倖弥の顔を見上げ「ねぇ、“アン”って、誰?」と真剣な顔で訊ねた。

 

「……」

葉月に聞かれ、倖弥は何も答えられず言葉に詰まった。

 

「その名前、病院で目が覚めた時にも言ってたよね?」

 

「……」

 

「目が覚める前にも、うわ言で言ってたけど……」

 

「え……」

 

「誰なの?」

葉月は倖弥の顔をじっと見つめた――。

 

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