ヒメとクローバー −第一章・第14話 解放 1−
――翌朝。
「はよっ」
偉世が登校していると和章が後ろから駆け寄って来た。
「おぅ」
自分の隣に並んだ和章の顔をちらりと見る。
毎度の事ながら機嫌が良さそうだ。
「昨夜、春川さんと二人で打ち合わせしたんだって?」
「情報早いな?」
「一応、俺も担当者の一人だからな」
「……なぁ、新田」
「うん?」
「もし、春川さんがおまえとの約束を破ったら……どうする?」
にっこり笑う和章に偉世は思い切って姫乃との事を切り出した。
「ん? 約束?」
和章は白を切っているのか、ピンと来ていないのか恍けている。
「春川さんが、おまえのお願いを断ったらって事」
「……あれ? なんで星野がその事知ってんだ?」
和章はさすがに何の話をしているのか気付いたらしい。
「昨夜、春川さんから聞いた。『何でいつも先に誘ってる俺より後に誘ったおまえの方を優先するのか?』って。
そうしたら……おまえに脅されてるとか言ったから」
「え……、おまえ、ダンパの時以外にも春川さんを何かに誘ってたのか?」
「おまえが映画に誘った日。俺もあの日、春川さんを誘ってたんだ」
「映画に?」
「いや……」
偉世はなんとなく『二人で食事に行こうと誘った』とは言えず、短く返した。
そして、昨夜から思っていた事を口にした。
「……おまえさ……春川さんには『パートナーがいないと格好がつかないから』とか
『一人で映画を観に行くのが嫌だから』とか言ってるみたいだけど、本当のところはどうなんだ?」
「本当のところって? それ以外に理由があるんじゃないかって事か?」
和章はちらりと横目で偉世を見た。
「あぁ」
「それを訊くって事は……おまえ、春川さんの事……」
そこまで言って一旦、言葉を切る。
「気になってんのか?」
「……」
すぐには答えない偉世。
「……て、そもそも気になってないならおまえの方から春川さんを誘ったりしないか」
だが、和章は偉世が答えるよりも先にそう言って『そうなんだよな?』という顔を向けてきた。
「……」
偉世は和章と目を合わせる事が出来なかった。
「確かに、ああいうタイプの女の子も嫌いじゃない。けど、俺が春川さんに言った理由以外にはないよ……、
“今は”ね」
「“今は”?」
偉世は眉間に皺を寄せながら訊き返した。
「そりゃ、ずっと一緒に仕事してれば、この先彼女の事を好きになる可能性もあるって事」
「……けど、だからって脅して他の男を寄せ付けないのは反則だと思うぞ?」
「俺はそんなつもりはなかったんだけどなー」
「なら、どういうつもりだよ?」
「ぶっちゃけ、最初は軽い気持ちだった。脅しておけば何かと便利かなー? くらいで」
「おまえなぁ……」
「けど、この事をおまえに知られたんなら、もうやめる」
「それって、もう脅したりなんかしないって事か?」
「あぁ、“先生”に『おたくのバイトが作家を脅してますよ』なんてチクられたらマズいしな」
「つーか、そもそも春川さんが沢村さんに相談していないのが不思議なくらいだけど……。
でも、これで春川さんが誰の誘いを受けるのも自由って事だな?」
「うん、この先もし、俺が春川さんを好きになる事があったら、その時は正々堂々と勝負するよ」
「……お、おぅっ」
そう返事をした偉世だが、返事をした事で自分が姫乃の事を好きなんだという事を露呈した気がし、
慌てて目を逸らした。
そんな偉世に和章は必死で笑いを堪えていた。
◆ ◆ ◆
――その日の夕方。
姫乃が学校から帰ると、偉世からパソコンの方にメールが届いていた。
但し、それは“清野四葉”として“一愛”に宛てられた内容だった。
−−−−−−−−−−
一愛様
お世話になっております。
昨夜、打ち合わせした内容を纏めたプロットを添付致します。
ご確認の程、宜しくお願い致します。
清野四葉
−−−−−−−−−−
メールには昨夜二人で意見を出し合って纏めたプロットが添付してあった。
添付書類を開いて確認してみると、昨夜の内容よりももっとわかりやすく纏めてあった。
送信時刻は夜中の一時。
おそらく姫乃を送って帰った後に彼が修正してくれたのだろう。
……RRRRR、RRRRR……、
するとその時、姫乃の携帯が鳴った。
“星野君”
着信表示の名前に思わずドキリとする。
「は、はいっ、もしもし」
『あ……星野、です』
お互いなんとなくぎこちない。
『あ、あのさ……』
「うん」
『昨夜、話してた新田の事、だけど……』
「え? 新田君?」
姫乃はてっきりプロットの件だと思っていた。
しかし、偉世の口から出たのは和章の名前。
『話、つけたから』
「……?」
『アイツがもう春川さんを脅すような事はなくなったって事』
「え……嘘……ホント?」
『本当』
「で、でも……それってー……」
『大丈夫、別に喧嘩とかして力ずくで納得させたとかじゃないから。
普通に話して普通に納得してくれた結果だよ』
「……」
『あれ? 疑ってる?』
「じゃなくて……どうして、星野君、そこまで?」
『……俺がそうしたかったから。じゃないと、いくら俺が先に誘っても新田が誘えばそっちを優先するだろ?
てか、優先せざるを得ない。でも、俺はそんなの嫌だから』
姫乃の問いに偉世は素直に答えた。
面と向かっては恥ずかしくて言えない事も今は携帯越しにすんなりと言えた。
「……」
だが、姫乃にはそれがどういう意味なのかがわからない。
ただ“和章の呪縛”から解き放たれた事だけは理解出来た。
「ありがとう」
『いや……ホントに俺がそうしたかっただけだから……』
携帯の向こうの偉世はちょっと照れているような気がした。
「……あ、えっと……そういえば、プロットもありがとう、わざわざ纏め直してくれたんだね」
姫乃は沈黙が訪れそうになり、少し強引に話題を変えた。
『あぁ、うん。一応、俺の方は同じ物を大滝さんにも送ったから、
春川さんも沢村さんと新田に送っておいてくれるかな?』
偉世は仕事の話となると、先程よりもスラスラと喋り始めた。
「うん、わかった」
『それで問題があれば何か連絡が来るだろうし、無ければそのまま週末の最終打ち合わせに入って、
ちょうど夏休みが始まる頃にネームにも取り掛かれるだろうから……春川さん、
夏休みの間の仕事ってどんな感じ?』
「多分、私はこのコラボと夏休みだからいつもより多めにお仕事が入ってくると思う」
『じゃあ、ずっと仕事場に泊まるの?』
「うん、そうなると思う」
『そっか』
携帯の向こう、偉世は少し嬉しそうに返事をした――。