言葉のかわりに−第三章・19−

 

 

正門を出たあたりで孝太は唯の肩から手を放し、すぐに手を繋いだ。

 

「あ、ありがと……助けてくれて」

唯は少し俯きながら言った。

 

「……ったく! 何やってんだよ」

 

「ごめん……」

 

「お前の事じゃねぇーよ」

おそらく和磨に対して言っているのだろう。

 

「あー、マジむかつくー」

「……」

「殴りてぇー」

「駄目」

「今すぐ殴りに行きてぇ」

「駄目!」

「マジ殴りてぇーっ!」

「駄目! そんな事したらシバくからね!」

「なん……っ! シバくって、お前……!」

「……」

唯は無言でプイッと顔を背けた。

 

「あー、もう! わかったよ!」

孝太はそう言うと、目の前に転がっている小石を思いっきり蹴った。

 

「そういえば、お前、明日何時の飛行機だ?」

 

「……」

 

「見送り……行くから」

 

「え……いいよ」

 

「なんで?」

 

「そんな事されたら、余計に辛くなるから」

 

「……なんだよ、それ」

 

「……」

 

「……んじゃ、見送り行かねぇから何時の便かくらい言えよ」

 

「……」

 

「何時だ?」

 

「……」

 

「何時?」

 

「……夕方」

 

「ざっくりした時間じゃなくてさ」

 

「……十八時台……かな」

 

「もっと正確に言えって」

 

「三十分前後」

 

「お前なぁ……」

孝太は呆れたように唯の顔を見た。

 

「だって……」

 

「……ん、まぁいいや。それと携帯はどうするんだ?」

 

「今から、一旦解約して新しく海外でも使えるのに替えるよ」

 

「番号変わるのか?」

 

「うん」

 

「んじゃ、替えたらすぐ教えろ。俺の携帯知ってるだろ?」

 

「……うん」

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

唯は家に帰って着替えた後、和磨にメールを打った。

本当は直接話したかったが、電話だときっとうまく言えないし、泣いてしまいそうだったからだ。

 

これが和磨への最後のメール……。

和磨からはきっと返事は返って来ないだろう……。

 

 

和磨がそのメールに気が付いたのは学校を出てJuliusとOracleのメンバーで遊んでいる時だった。

マナーモードにしたままだったから気が付かなかったのだ。

 

(いつ来たんだろう……?)

時間を見ると一時間前だった。

和磨はみんなと離れた所でメールを開いた。

 

−−−−−−−−−−

今までありがとう。

篠原くんと一緒に過ごせて

楽しかった。

これからもずっとJuliusの事、

遠くで応援してます。

−−−−−−−−−−

 

短い別れのメール。

今さらのように……。

 

(なんでこのタイミングなんだ? 明日、飛行機に乗る前ならともかく)

それに唯が和磨の事を“かず君”とは呼ばなくなっていた事、“和磨”の事ではなく“Julius”の事を

応援しているいうのが気になった。

 

(完全に終わったな……)

そう思い、和磨はメールを返す事もせず、携帯を閉じた――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

唯はモバイルショップで携帯を契約し直した後、家に戻ると約束通り孝太に電話を掛けた。

 

「もしもし、コウちゃん?」

 

『おぅ、唯か?』

 

「うん」

 

『新しい携帯から?』

 

「うん」

 

『そか……じゃ、この番号メモリーに登録しとく』

 

「うん……」

 

『唯』

 

「うん?」

 

『向こうに行っても頑張れよ』

 

「うん」

 

『俺もこっちで頑張るから……』

 

「……うん……コウちゃん」

 

『ん?』

 

「いろいろ、ありがとう」

 

『何言ってんだよ? 礼を言わなきゃいけないのは俺の方なのに……唯、ありがとな』

 

「……ううん」

 

『明日……ホントに見送り行かなくていいのか?』

 

「うん」

 

『……わかった。じゃ、気をつけて行けよ?』

 

「うん、ありがとう。それじゃね」

唯は電話を切った後、深い溜め息を吐いた。

 

今年に入ってから孝太には助けられっぱなしだった。

どれだけ彼の存在に救われただろう。

だけど明日からはまた一人。

香奈も孝太も、そして和磨もいない……。

たった一人でパリに行く。

明日から気持ちをちゃんと切り替えなくては。

 

唯は携帯を充電器に置くと、明日旅立つ準備を始めた――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

――卒業式が終わった次の日。

 

Juliusのスタジオ練習とミーティングが終わった後、准と智也はそれぞれ彼女を迎えに行き、

和磨も帰ろうとしていると拓未に引き止められた。

 

 

和磨と拓未は香奈が待っている喫茶店に行き、合流した。

 

「和磨……お前、やっぱり唯ちゃんとなんかあったんだろ?」

拓未は三月になってからずっと和磨と唯がまったく会話していない事を不審に思っていた。

 

「ただのケンカじゃないみたいだし」

香奈も心配そうな顔を和磨に向けた。

 

「……」

和磨は何も答えず黙っていた。

 

話そうか……話すまいか……。

とはいえ、今さら話したところでどうなるものでもないが……。

 

「……まさか……別れた訳じゃない……よね?」

香奈は恐る恐る和磨に問いかけた。

 

「……」

(そのまさかだよ……)

 

「和磨……」

「篠原くんっ」

 

「……別れた」

和磨の口から出た言葉に拓未と香奈は顔を見合わせた。

 

「どうりで……最近、お前と唯ちゃんの様子がおかしいと思った」

拓未はそう言うと「……なんでだよ?」と続けた。

 

「なんでって……」

 

それは……和磨があの日、衝動的にあんな事言って、唯もあっさり孝太の所に行ったから?

 

「篠原くん……もしかして……あの日、唯の家に行った?」

香奈はさすがに鋭い。

 

「……あぁ、行ったよ」

 

「やっぱり……、唯はなんて言ってたの?」

 

「何も言わなかった」

 

「……それで?」

 

和磨はその後、訊かれるがまま答えた。

唯に“もう好きにしろよ”と言ってしまった事も。

 

 

「お前……気持ちはわかるけど……」

拓未がそう言った傍らで香奈は携帯を出し、どこかに掛けていた。

 

「……あれ?」

そう言って香奈はもう一度掛け直した。

 

「どうした? 香奈」

拓未は怪訝な顔をしている香奈に視線を移した。

 

「唯……番号が変わってる……」

 

(え……?)

 

「唯ちゃんの携帯?」

 

「うん……今、掛けてみたら、“現在、使われておりません”ってメッセージが流れた」

香奈がそう言うと拓未も携帯を出し、唯に電話を掛けた。

 

「……ホントだ」

拓未は眉間に皺を寄せた。

 

「いつ変えたんだろ?」

 

「和磨、お前聞いてないのか?」

 

もちろん聞いている訳がない。

 

「……聞いてない」

和磨がそう言うと香奈はしばらく考え、

「それなら……孝太に訊くしかないわね」

再び携帯を開いた。

 

唯は今日の出発時間を誰にも言っていない。

今から唯の家に行ったとしても、もう出ている可能性があるからだろう。

 

「孝太? 香奈だけど……」

そして、香奈はさっそく孝太に電話を掛けると自分達がいる喫茶店に呼び出した――。

 

 

     ◆  ◆  ◆

 

 

―――二十分後、孝太が喫茶店に入って来た。

孝太は和磨の姿を目にすると顔を少し顰めた。

 

(元彼と今彼の対決か?)

 

「なんだよ? 話って」

孝太はそう言って和磨の目の前に座った。

 

「唯の事なんだけど……」

香奈が話を切り出す。

 

「唯?」

 

「そろそろ、あの日何があったか話してくれない?」

香奈はそう言うと孝太をじっと見据えた。

 

「……無理」

「なんで?」

「絶交するって言われたから」

「はぁ?」

「唯に言われたんだよ! 篠原に言ったら絶交だって」

「相変わらずその言葉に弱いんだ?」

「っるせー」

「だったら、私には話していいんだよね?」

「どういう意味だよ?」

「唯は篠原くんには言うなとは言ったけど、私には言うなとは言ってないんでしょ?」

 

(上木さんの悪知恵炸裂?)

 

「……まぁな」

 

「だったら、私に話してよ。篠原くんはたまたま横にいて聞いてたって事で」

 

「……」

 

「いざとなったら私が味方になるからっ」

 

「……絶対?」

 

「絶対」

香奈のその言葉を聞くと孝太は小さく息を吐き出してからあの日の事を話し始めた――。

 

唯が町田に呼び出されて体育館倉庫に連れて行かれた事。

そこで町田が唯に何を言ったのか……何をしたのかを。

自分はたまたまその場面に出くわし、唯を助けて町田と殴り合いになった事。

 

そして、それはあの有坂一美が仕組んだ事だったという事も。

 

「唯……」

孝太の話を聞いた香奈は居た堪れなくなり、涙を流して泣き始めた。

 

「……」

和磨は頭が真っ白になった。

町田と有坂がパッタリと学校に来なくなった理由も卒業式にも来なかった理由もこれでわかった。

特に気にも留めていなかった二人がこの一件に絡んでいた事など和磨はまったく予想もしていなかった。

 

(だから唯は何も言わなかったのか……いや、言わなかったんじゃない……言えなかったんだ……。

 それなのに俺は……だけど……もう遅い、唯にはコイツがいる)

 

「……つーか、お前は俺と唯が仲良く帰ってたのをなんとも思わなかったのかよ?」

すると孝太が和磨を真っ直ぐに見つめていった。

 

(どういう意味だ?)

眉を顰める和磨。

 

「いつ俺から唯を奪い返しに来るかと思ってたら……全然来ねぇし」

 

(俺を試してたって事か?)

 

「このまま唯をパリに行かせてもいいのか?」

 

(いいも悪いも、唯はもう……)

「……」

和磨はただ黙っていた。

 

「まさか……唯が俺に乗り換えたとでも思ってるのか?」

 

(現にそうじゃないのか?)

「実際、そうだろ?」

和磨は孝太に問いかけた。

 

「そんな訳ねぇだろ」

孝太はキッパリと即答した。

 

「……なら、あの展望台で何してたんだ?」

和磨がそう言うと孝太は少し驚いていた。

 

「……あの時、あそこにいたのか?」

 

「あぁ……、あの日……あそこに行ってちゃんと気持ちの整理をつけてから唯に謝るつもりだった……」

 

「あの場所知ってたのかっ?」

 

「あそこは……俺と唯でよく行ってた場所だったから……」

 

「……そうか、俺も舞とよく行ってた場所だったんだ……双子ってこんなトコまで似てんだな」

孝太はそう言うと、ふっと笑った。

 

(考えてみれば、俺と唯の二人だけの“秘密の場所”だったといっても私有地でもないんだし、

 長瀬と舞って子が知っていたとしても不思議じゃないよな……。

 なんで俺、そんな事にも気付かなかったんだよ……)

和磨は後悔したように唇を噛んだ。

 

「唯は俺の我が侭に付き合ってくれたんだ」

 

「……我が侭?」

 

「舞との思い出の場所で舞の事を吹っ切りたくて……舞と瓜二つの姿をしてる唯に“代役”をやって貰ったんだ」

孝太はあの時、唯を抱きしめていた理由を話し始めた。

 

「いつもなら『私は舞じゃない』って唯のヤツ、怒るんだけど、その時は何も言わずに

 俺の我が侭に付き合ってくれたんだ」

 

(だからあの時、唯は長瀬と……)

 

「唯はこのままお前に誤解をさせたまま別れるつもりだぞ」

 

「え……」

 

「それがお前の為だって言ってた。自分がパリに行ってしまったら最低でも三年は会えない。

 音楽院を三年で卒業出来たとしても、活動拠点を日本にする事はないだろう。

 そんなので篠原の事を縛り付けてはおけないって。

 このまま別れればきっとすぐに自分の事は忘れていい人が見つかるからって……、

 アイツがこんなに早くパリへ行くのも……多分、お前の事を忘れたいからなんだと思う」

 

「そんな……」

(唯がそんな事を考えていたなんて……)

 

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