An −第二章・1−

 

 

倖弥が目を覚まし、ゆっくりと瞼を開けると

真っ先に視界に入ってきたのはクリーム色の天井だった。

 

(ここは……)

 

「……倖弥?」

数ヶ月ぶりに聞く懐かしい声。

パチパチと数回瞬きをしていると、その声の主が倖弥の顔を覗き込んだ。

 

「私の事、わかる?」

 

「……葉月?」

 

「うん……よかった……」

葉月は倖弥の意識がはっきりしている事がわかるとホッとしたように笑った。

 

「ここ、どこ?」

 

「病院よ」

 

「病院?」

 

「うん、屋上から落ちたのよ」

 

「……え?」

 

(屋上から?)

 

倖弥は屋上から落ちたと聞き、四ヶ月前の出来事を思い出した。

 

確かに四ヶ月前、自分は屋上から落ちた。

だけど、その時に“何か”が起きて気がついたら森の中だった。

そして目の前でアンジェルが山賊に襲われていた。

 

「……っ! そうだっ! アンはっ?」

倖弥はアンジェルの事を思い出すと体を起こし、葉月に訊ねた。

その時、倖弥の体に痛みが走った。

「いて……っ」

「まだ寝てないと駄目よっ」

葉月が慌てて倖弥を寝かせると、

「なぁっ、アンはどうなった?」

と、再び葉月に訊ねた。

 

「ゆ、倖弥……?」

しかし、葉月には倖弥が何の事を言っているのかわからなかった。

 

「……“アン”て?」

 

「アンジェルだよっ」

 

「誰?」

 

「誰って……」

そこで倖弥はハッと気がついた。

 

“葉月がアンジェルの事を知っているはずがない”

 

「倖弥? どうしたの? 大丈夫?」

 

「……」

 

「やっぱり、屋上から落ちた時に頭打った?」

 

「いや……」

屋上から落ちた時は無傷だった。

頭など打ってはいないはずだ。

というより、あの高さから落ちて頭を打っていれば間違いなく死んでいるだろう。

 

「主治医の先生も頭に異常は見られないって言ったから、

 おじさんもおばさんも貴裕も、一度家に戻って倖弥の着替えとか

 取って来るって帰っちゃったし……どうしよう……先生呼ぼうか?」

葉月は倖弥がおかしくなったのだと思い、オロオロし始めた。

 

「大丈夫……なんでもない」

倖弥は葉月を落ち着かせるように言った。

しかし、本当に落ち着かなければならないのは自分の方だった。

 

「……葉月、今日は何月何日?」

 

「4月12日だけど……?」

 

「えっ?」

それは、倖弥が屋上から落ちた日と同じ日だった。

 

「そんな……馬鹿な……」

 

「倖弥?」

 

「だって、俺とアンは少なくとも四ヶ月は一緒に居たんだぞ?

 それが……あの日に戻ってるなんて……っ」

倖弥は瞼を閉じて手の甲を額に当てた。

 

「俺……どこに倒れてた?」

 

「フェンスが外れて落ちたトコ」

 

「森の中とか、崖の下じゃなくて?」

 

「うん……」

 

「じゃあ……今、何時?」

 

「夜10時……倖弥が屋上から落ちた後、どう言う訳かすぐには倖弥の姿が

 どこにも見つからなくて……でも、あたしが先生を呼びに行って戻って来たら

 倖弥が外れたフェンスの傍に倒れてたの」

 

「それって……どのくらい時間空いてた?」

 

「え……と、屋上から落ちて30分以上あたし一人で捜してたんだけど、見つからなくて。

 それから、職員室に事情を説明しに行って15分くらいして先生達と戻ったから

 一時間も経ってないと思うけど……それからー……病院に運ばれてー……」

 

「……そっか」

倖弥は葉月の話を聞き、軽く溜め息をついた。

葉月の話を纏めると自分は屋上から落ちた後、約一時間後に転落した場所で見つかった。

それから病院で診察と手当てを受けて今までずっと眠っていた。

 

(四ヶ月も経っているはずがない……あれは……夢だったのか……?)

 

だいたい屋上から落ちて目が覚めたら森の中だったなんて瞬間移動じゃあるまいし、

それに過去にタイムスリップしてたなんてそんな事が現実にあるはずがない。

もっと言えばタイムスリップした場所は外国で日本語なんて通じるはずがないのに

どういうわけか通じていた。

倖弥もフランス語を喋ってたつもりもないし、アンジェル達も日本語が喋れるとは思えない。

タイムスリップしたついでに“何か”がおかしくなってどうにかなっていたとも

考えられなくもないけれど。

 

(全部、夢だったのか? それにしては、えらくリアルすぎる夢だったな……)

 

倖弥はもう一度大きく息を吸い込んで吐き出すと静かに目を閉じた――。

 

HOME
INDEX
BACK
NEXT