An −第二章・7−

 

 

郁美は立ち上がると同時に竹刀を上段に構え、

「やぁーーーーーっ!!」

間髪入れずに倖弥に向かってきた。

 

それに対し倖弥は素早く右足を大きく一歩前に踏み出し、郁美が面を打つよりも先に

「はっ!」

郁美の左籠手を打った。

あっという間の出来事だった。

 

「勝負有り!」

そして試合終了を告げる浅井の声が道場に響き、倖弥は開始線に戻ると

竹刀を中段に構えて蹲踞をした。

 

「え……な、何……? 何なの?」

郁美は一瞬の出来事で勝負がついた事さえもいまいちわからずその場に立ち尽くしていた。

その間に倖弥は竹刀を納め、立礼をして場外に下がった。

 

「もう勝負ついたんだけど……」

浅井は呆然としている郁美に言った。

 

「えーっ」

どうやら郁美はいきなり勝負を仕掛けてくるとは思っていなかったであろう

倖弥の裏をかいたつもりらしい。

 

「しっかし、君も無謀だねー、あの赤城に勝負を挑むなんて」

浅井はククッと笑った。

 

「へ?」

 

「赤城はうちのエースだよ?」

 

「う、嘘っ!?」

 

「ホント」

 

「あの人、マネージャーじゃないの?」

 

「あー、あいつ今、左肩を怪我してて医者から運動止められてたから、

 ここ最近ずっと小林さんの手伝いしてたんだよ」

 

「えぇーっ!?」

郁美は倖弥と葉月の方に振り返り、ツカツカと近づいていった。

 

「ちょ、ちょっとっ」

 

「?」

明らかに怒っている郁美の声に倖弥はなんだ? という顔で振り向いた。

 

「……」

葉月は無言でその様子を見ている。

 

「あなた、マネージャーじゃなくて部員だったんじゃないのっ」

「あぁ、そうだよ」

「そんなの聞いてない」

「だって言ってねぇもん」

「ずるいっ」

「何が?」

「卑怯よっ、あたしを騙して勝負するなんてっ」

「……」

倖弥は無言になり、軽く溜め息をついた。

 

「騙したって……あなたが勝手に誤解してたんじゃない」

すると葉月が口を挟んだ。

 

「いいよ、葉月。確かに俺も何も言わなかったんだし。

 でも、約束は約束。これで俺にもう馬術部に入れとは

 言わないんだよな?」

 

「……」

郁美は無言で倖弥を睨みつけた。

 

「まぁ、言って来たところで俺は馬術部に入る気はないけど。

 だからこれ以上、もうこの件に関してグダグダ言わないでくれる?」

倖弥はそう言うと冷却シートを郁美に差し出した。

 

「な、何よ、これ」

郁美は眉間に皺を寄せながら冷却シートを受け取った。

 

「左手、一応力加減はしたつもりだけど念の為、冷やしておいたほうがいいよ」

 

「手加減したっ事?」

 

「いや、本気でいくと言ったからには本気は出したよ。

 でも相手は女の子なんだし、もしもの事を考えて利き手であろう右手じゃなくて

 左手を狙ったけどそれでも力加減だけはした。本気で打ったら痣になるから」

 

「……」

郁美はあの一瞬の間に倖弥がそこまで考えていたのかと思うと

完全に負けを認めざるを得なかった――。

 

 

 

 

「倖弥が本気でいくって言うからどうなるかと思った」

そして郁美が帰った後、葉月がホッとしたように言った。

倖弥が本気を出せばいくら剣道の心得があるって言っても無傷では済まない。

それを心配していたのだ。

 

「俺、女の子相手に力加減しないほど鬼じゃねぇし」

 

「てか、倖弥、前より動きが早くなった気がするけど?」

 

「うん、なんかやけに竹刀が軽くて。ずっと本物の剣を持ってたからかな」

 

「本物の剣って?」

 

「あっちの世界に行ってた時、ちょっと細身の剣のレイピアとか、

 戦闘用のブロード・ソードとか使ってたんだよ。

 鉄とか銅とかで出来てるから竹刀より重いんだ」

 

「へ、へぇー……」

葉月はあまりピンと来ないのか微妙な顔をしていた。

 

 

 

 

――翌日。

 

放課後、倖弥がいつものように葉月と一緒に部活に行こうと昇降口に降りると、

後ろから制服の袖を軽く引っ張られた。

 

「?」

倖弥は怪訝な顔をしながら振り向いた。

 

「……っ」

てっきり葉月だと思っていた倖弥は予想外の人物の登場に驚きを隠せないでいた。

 

そこには杏花が立っていたのだ――。

 

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