An −第二章・6−

 

 

厩舎から離れた倖弥と葉月は静かで広い草原に出るとそこに腰をおろし、

倖弥は落ち着いた口調であの日の事を話し始めた――。

 

屋上から落ちた瞬間、青白い光に包まれて体が消え、約300年前の

ヨーロッパの森の中に無傷で倒れていた事。

そして、そこで山賊に襲われていたアンジェルを助けた事。

意識が戻ったアンジェルの護衛に山賊に間違われ、監獄に入れられそうになった事。

アンジェルの案内でサントワール王国に行き、そこで約四ヶ月もの間過ごし、

アンジェルが政略結婚させられる事になり、二人で城から逃げ出した事。

しかし、結局逃げ切る事が出来ず、アンジェルから引き離され、

ウェッジム王国軍の弓兵が放った矢が自分の左肩を掠め、崖から落ちた事。

そうして、また屋上から落ちた時と同じ様に青白い光に包まれ、

元の世界に戻ってきた事まで全て。

 

葉月は倖弥の話をじっと聞いていた。

ただ驚いていたというのもある。

だから倖弥が全て話し終わってもしばらくは口も開けないでいた。

 

 

「倖弥、もしかしてその子の事が好きだったの……?」

葉月は恐る恐る聞いた。

 

「あぁ……好きだったよ」

倖弥は即答した。

 

「……」

 

「今でも……」

そして黙り込んだ葉月に追い討ちをかけるように倖弥が呟いた。

 

「っ」

その言葉に葉月は声を詰まらせた。

 

「屋上から飛び降りようとしたのも、もしかしたらもう一度

 アンのところに行けるかもって、そう思った。

 確実に会えるかどうかわからなかったけど、それでも……

 もし、葉月が止めてくれなかったら俺、飛び降りてた」

 

「……」

 

「さっきの芝原さん……アンにそっくりなんだ」

 

「で、でも……」

葉月は「そんなはずはないでしょう?」と言いかけてやめた。

 

「わかってる。アンのはずがない」

 

「う、うん」

 

「わかってるんだけど……あまりにも似過ぎてるんだ」

倖弥はそう言うと溜め息をついた――。

 

 

 

 

――校外研修から戻った翌日。

放課後に倖弥と葉月が道場で一年生の部員達と一緒に部活の準備をしていると

入口に郁美が立っていた。

その後ろには杏花もいる。

 

倖弥が視線を向けると郁美はにこっと笑って手招きをした。

 

「何か用?」

倖弥は無愛想に口を開いた。

 

「あなた、剣道部って言ってたけどマネージャーなんじゃない」

郁美はプププッと笑った。

 

「……」

倖弥は少しムッとしながらも黙っていた。

 

「この間の話なんだけど考えてくれないかな?

 別にマネージャーならあの子一人で十分でしょ?」

郁美はそう言うと葉月の方にちらりと視線を向けた。

 

「言いたい事はそれだけ?」

 

「うん、まぁ」

 

「あっそ」

倖弥は回れ右をした。

 

「あー、待って」

郁美の声に倖弥は振り向くこともせず、

「言いたい事はもうないんだろ? だったら帰れよ。稽古の邪魔」

冷たく言い放ち、葉月のところへと戻っていった。

 

 

「あの子達、またスカウトしに来たの?」

葉月は倖弥がなんとなく不機嫌になったのを気にしながら訊ねた。

 

「“剣道部って言ってたけどマネージャーなんじゃない”だとさ」

 

「うは、マネージャーだと思われたんだ?」

 

「“マネージャーならあの子一人で十分でしょ?”とも言ってた」

 

「ふーん……で、倖弥は何て答えたの?」

 

「別に、何も」

 

「え? マネージャーっていうの否定しなかったの?」

 

「うん」

 

「なんで? 今は怪我しててあたしの手伝いをしてるけど、

 ちゃんと部員なんだって言ってやればいいのに」

 

「いいよ。どうせ馬術部に入る気ないんだし、面倒臭い」

 

「うーん……まぁ、これであの子達が諦めてくれればいいけど。

 なーんかまた来そうだなぁー」

 

「何度来たって一緒だよ」

倖弥は苦笑していたが、翌日、葉月の勘は見事に当たった――。

 

 

 

 

――次の日の放課後。

郁美が竹刀を片手に薄ら笑みを浮かべて道場の入口に立っていた。

 

「何? また来たの?」

倖弥はやや呆れた口調で言った。

 

「ねぇ、私と勝負してよ」

「はぁ? 勝負?」

「そ。私が勝ったらあなたには剣道部のマネージャーを辞めて馬術部に入ってもらう」

「俺が勝ったら?」

「二度と馬術部に入れなんて言わない」

「……」

倖弥はしばし黙った。

 

 

「勝負は一本勝負でいいな? それと、やるからには本気でいくぞ?」

 

「もちろん」

郁美は自信満々で答えた。

倖弥は郁美との勝負を受けることにしたのだ。

 

「倖弥」

“本気でいく”と言った倖弥に葉月は心配そうな顔をした。

 

「平気だよ。肩の傷ならそろそろ少しずつ動かしてもいいって医者からも言われたし」

 

「そうじゃなくて……」

しかし、葉月は別の事を心配していた。

 

 

 

 

倖弥と郁美はそれぞれ道着と防具を身に付け向き合った。

 

「言っておくけど私、父が剣道の師範代なの。

 という訳で私もそれなりに仕込まれてて少しは腕に覚えがあるのよ」

郁美はどうやら完全に倖弥がただのマネージャーだと思っているらしい。

 

「……」

しかし、倖弥はそんな挑発にも乗ることはなく、すでに精神統一に入っていた。

 

そして葉月と部員達全員が見守る中、倖弥と郁美は互いに一礼し、蹲踞した。

 

「始め!」

審判を務める剣道部の部長・浅井の声が道場に響き、倖弥と郁美は同時に立ち上がった。

 

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