An −第二章・4−

 

 

倖弥が元の世界に戻ってから二週間が経った――。

しかし、アンジェルの事でずっと落ち込んだままだ。

葉月もそんな倖弥が心配で以前にも増して一緒に居るようになった。

 

 

倖弥と葉月は校外研修で伊豆高原に来ていた。

二泊三日の予定で今日はその二日目の自由行動。

それで葉月は倖弥にぴったりと張り付くようにくっついているのだ。

 

「お前なぁー……」

倖弥はいい加減にしてくれと言わんばかりの顔で溜め息混じりに口を開いた。

 

「なんで俺にくっついてんだよ?」

 

「別に理由なんてないけど? ね、それよりさ、あっちで乗馬ができるみたい。

 行ってみようよ?」

葉月はまったく気にしていない様子だ。

 

「いいよ……馬なんか。てか、お前、自分の友達と行けよ」

「あたし白い馬に乗ってみたいな〜♪」

「無視かよ……」

「はいはい、行くよー♪」

葉月はにっこり笑いながら倖弥の右腕をグイグイと引っ張って歩き始めた。

 

 

「早く早くぅ〜っ、わぁ〜っ、黒い馬もいるよー!」

 

「あー、もうー、わかったわかった。わかったからそんなに引っ張んなって」

 

「ねぇねぇ、倖弥はどの馬に乗る?」

 

「いや、だから俺はいいって……」

 

「あたし白いの乗るから倖弥は黒いの乗りなよ〜?」

 

「また無視かよ……」

 

葉月に引き摺られ、厩舎に近づいて行くと突然、馬の嘶きが聞こえた。

倖弥と葉月がその方角に目を向けると一頭の白葦毛の馬が

厩舎スタッフの制止を振り切り、倖弥達の方に真っ直ぐ走って来るのが見えた。

 

「……え、ゆ、倖弥、どうしよ……こっちに来るっ」

葉月はその場で足を止め、固まってしまった。

 

馬はもうすぐ目の前まで来ている。

このままだと間違いなく葉月が怪我をしてしまう。

 

倖弥は咄嗟に葉月の前に出た。

そして走ってきた馬の手綱を掴むとそのまま素早く飛び乗った。

 

「……っ」

葉月は倖弥の思わぬ行動に声も出せず驚いた。

 

「ドウドウドウ」

慣れた様子で手綱を引きながら馬を落ち着かせる倖弥。

しかし、自分が知る限りでは倖弥は馬になど乗ったことがないはず。

どこかで多少乗ったことがあるにしてもこんな落ち着いた顔で

暴れている馬を宥めつかせる事が出来るだろうか?

 

 

そうして馬が大人しくなると倖弥は方向転換をさせてゆっくりと馬から降り、

追いかけてきた厩舎のスタッフに手綱を渡した。

 

「申し訳ありません。馬の鼻に虫が入って、それでびっくりして

 急に暴れだしてしまって……怪我はありませんでしたか?」

 

「はい、俺は大丈夫です」

倖弥は厩舎のスタッフにそう言った後、

「葉月、大丈夫か?」

心配そうな顔で葉月に声を掛けた。

 

「う、うん」

葉月はコクコクと首を縦に振りながら答えた。

 

 

「はぁー、びっくりしたぁー」

厩舎のスタッフが馬を連れて帰った後、葉月は気が抜けたように

その場にしゃがみこんだ。

 

「大丈夫かよー、もう馬に乗るのやめるか?」

 

「うー……でも、乗ってみたい」

 

「結局、乗るんだ?」

 

「……また暴れるかな?」

 

「さっきのはたまたまだろ。馬の鼻に虫が入ってびっくりしたんだって言ってたし、

 よっぽど変な事しなきゃ暴れないよ」

 

「ホントに?」

 

「ホント、ホント」

倖弥は笑いながら葉月に右手を差し出した。

 

葉月はその掌に自分の右手を重ねた。

 

「ほら、行くぞ」

倖弥は葉月を軽く引っ張って立たせると厩舎の方に歩き始めた。

 

「あー、待ってー」

葉月はその後ろをついて行きながら、ふと思った。

 

「ねぇ、ところで倖弥、馬に乗ったことがあるの?」

「え? あ、うん、まぁ……」

「いつ?」

「いつってー……」

 

(「つい二週間前まで乗ってた」なんて言えないよなー)

 

「なんか乗り方とか宥め方とかすごい慣れてたけど?」

 

「気のせいだろ」

 

「ふーん……」

 

「……」

 

「……」

 

倖弥は本当の事を言えばまた頭がおかしくなったと思われると思い、

葉月は絶対気のせいじゃないなと思いつつ、二人はお互い考えを巡らせながら 無言になった。

 

そして、その二人の様子を少し離れた場所から窺っている人物がいた――。

 

HOME
INDEX
BACK
NEXT